「微生物」は、古くから暮らしに関わり深いパートナーです。実は、伝統的な染色である「藍」にも関係しています。その「藍」を、東京神田のビル街で育て、子供たちと染色するなど学び楽しむプロジェクトがはじまっています。今回は、プロジェクトを推進する一般社団法人「遊心」代表理事の峯岸由美子さんによるフォト日記の2回目。 “都会で藍を育てるプロジェクト”を通じてみえてくることが、たくさんあるようです。
【2021年8月某日】
こんにちは、遊心の峯岸です。
先日、神田で育てている「神田藍」の一番刈りをしました。一番刈りとは、草などを何回か繰り返して刈るときの第1回目をいいます。
藍は発育が早く、一番刈りをした後も、二番刈り、タイミングが合えば三番刈りができます。ただ、一番刈りは格別。やはり感動もひとしおでした。それは発芽から刈り取りまで、数か月間のドラマチックな時間を過ごしたからです。
藍は雑草のように力強い植物なので、比較的育てるのは簡単ですが、神田で藍を育てていく中でも、いろいろなことがありました。たとえば、植え替えがうまくいかず枯れてしまったり、新芽を全部ナメクジに食べられたりもしました。太陽が足りず、葉が黄色くなったこともありました。水が足りなければしおれ、水はけが悪いとスプラウトのようにひょろひょろに…。手をかけすぎても、かけなさすぎてもいけません。これは人間の「子育て」とも通じるものがあり、「ちょうどよい」植物との距離感・バランスが大切なのだと思っています。
この一番刈りのとき、ワクワクすることがありました。葉をとりはずして、「茎」を水につけておくと、ニョキニョキと節から根がのびだします。そのまま土に植えるとすぐに活着し、また元気に藍が育ちはじめたのです。私は自宅に神田藍の茎を持ち帰って、ベランダの植木鉢に挿しました。神田と自宅が藍でつながった感じがして、水やりが毎日の日課になりました。こうなると、地域を超えて、日常の風景の中に神田藍が入り込みます。神田と離れた場所であっても、この神田藍が日常にあることで、神田の息吹を感じられるのだと実感します。
水やりをしながら思い出したことがありました。
息子が小さい頃、保育園に向かう毎朝の道すがらに、大きなサクラの古木がありました。春になると花が満開になります。その美しい花吹雪の下を親子で自転車に乗って、「わーっ」と歓声をあげて通り抜けるのがとても楽しみでした。春の季節だけの毎年の楽しみ。
この思い出はもうずっと前のことですが、その場所のサクラは今でも春になると満開になり、私たち親子の大切な場所になっています。今はさすがに親子で通り抜けはしませんが、私はこっそりひとりで毎春そのサクラに会いに行きます。
街の中に、生活に組み込まれた季節を感じる風景や場所があり、植物や生き物たちがいることは、とても幸せなことだと思っています。皆さんにも、時を経て思いをつなぐ植物や生き物との記憶が、おありではないでしょうか。
神田には、江戸時代に誕生した「紺屋町」というエリアがあります。そこには、藍染めを手がける染物屋が軒を連ねていました。「その年の流行は紺屋町に行けばわかる」といわれ、江戸の流行の発信地でもありました。その紺屋町を通り、神田川まで流れる小さな川「藍染川」が流れていて、染物をこの川でさらしていたことから、名前がついたといわれています。錦絵にも描かれるこのエリアは、藍の染物が街にたなびく美しい街だったにちがいありません。
先日、神田藍の会のメンバーと、現在は暗渠となっているこの藍染川を歩いてみました。もう街に川や染物屋の面影はなく、今はビル街になっています。それでも、ここにはかつて藍染橋がかかっていて、ここには落語「紺屋高尾」にもでてくるお玉ヶ池跡があって…と、昔の風景を現代の街に重ねて歩きながら、話が盛り上がりました。一番楽しかったのは、メンバーが実は藍染川沿いを知らずに毎日通っていたことが分かった時でした。以前通った銭湯がこのあたりでとか、前の職場がこのあたりで、など、毎朝歩いていた記憶が呼び覚まされました。
江戸・明治時代から続く藍染川周辺のエリアは、その時代に暮らす人々にとっても大切な街でした。そこは、昭和、平成の時代にも、関わるひとりひとりにとって大切な街であり、令和の今にも、それが引き継がれています。そして私たちが暮らす街の中には、ガイドブックには載っていない、ひとりひとりにとっての「大切な場所・美しき場所」があるのだと思います。それは心地よい喫茶店かもしれないし、建物やサクラの古木かもしれないし、誰かと一緒に見た美しい風景や、街に溶け込む小さな藍の一株かもしれません。「大切なこと・美しきこと」が、私たちの心を揺さぶり、毎日の生活を豊かにしてくれると思うのです。
家のベランダの神田藍を眺めながら、楽しい気持ちになります。この藍の<生まれ故郷>である神田の街が、いつか藍でいっぱいになり、その葉の緑や藍の紺色の美しさを見たときに、きっと私は、今年の夏、汗をかきながら、毎朝藍への水やりをした思い出をよみがえらせるのではないかなと。身近に…というよりももっと、神田藍が生活の一部になったようです。
【藍が織りなす”発酵”いろいろ 神田藍日記シリーズ バックナンバー】
0: 藍が育む「自然と人間と地域の発酵関係」とは? ~神田藍プロジェクト
1: 神田藍日記7月 ~人と自然と~
2: 神田藍日記8月 ~植物と街の記憶~ (現在の記事)
3: 神田藍日記9月 ~自然界のグラデーション~
4:神田藍日記10月 ~育まれる藍と街~
5:神田藍日記11月 ~育つ場ごとに多様な花色へ~
6:藍が織りなす”発酵”いろいろ ~土と微生物と、めぐる藍~ 神田藍日記12月
【うつくしきこと:「ジャパンブルー・藍」シリーズ】
日本の美と微生物 1 「ジャパン・ブルー 藍のはじまり」
日本の美と微生物 2 自然と人と、藍のうつくしさ