「旅・写真・ごはん」をテーマに、世界中を旅する「旅行家・写真家・食事家」、石黒アツシさんが綴る今回のコラムはジョージアの2話目です。なぜ、ピザや小籠包に似た“粉もの”がこの国で愛されているのか? その背景には、大陸をめぐる食の交流という、とても興味深い歴史があるのですね。
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この地でおいしいものが交わる
1989年まで旧ソビエト連邦の一部で、今は共和国制になっているジョージア。コーカサス地方の国の一つひとつです。北にコーカサス山脈をはさんでロシア、東にカスピ海、西に黒海、南はイラン、イラク、トルコといったイスラム教の国々に囲まれた地域がコーカサス地方です。
昔からアジアとヨーロッパの貿易や交易の要衝で、ローマ帝国、やオスマン・トルコ帝国、モンゴル帝国やロシア帝国などの帝国が占領してきたという土地です。人が行き交うということは、各地のおいしいものもこの地にやって来るわけです。今回はクロス・カルチャーな「粉もの」2つをご紹介します。
ハチャプリはジョージアのピザです!
冒頭の写真はジョージアのピザともいわれている「ハチャプリ」です。立派な石窯を備えた店もあって、ピザのように焼きます。小麦粉を発酵させて深めの器のように成形したら、その中にチーズをたっぷりといれて、たまごを落として焼き上げます。小麦粉の部分が厚いので、ピザよりも倍くらいの焼き時間になります。
食べてみると「これはピザだ!」と感じました。塩気のあるクラストに、たっぷりの濃厚なチーズ。形は違いますが、小麦粉にチーズですから、ピザとほぼ同じというわけです。
他の店でいただいたものは、生地の間あいだにチーズを挟んだもの。具を包んでいるという意味ではイタリア料理のカルツォーネに似ていると言えるかもしれません。
2000年ほど前にジョージアはローマ帝国によって占領されている時期があったので、小麦粉に具をのせて、または包んで窯で焼くという料理が伝わったんですね。
イタリアで酵母を使って発酵させた小麦粉のパンが生まれたのは3000年前と言われています。それが各地に伝わって、各地域のバリエーションが増えたわけです。ジョージアではハチャプリですが、もっとぐっと近年になって日本にも伝わってきて、具だくさんの日本スタイルのピザが生まれました。
ヒンカリはジョージアの小籠包!?
さて、上の料理をご覧ください。これはまさに中華料理、点心の小籠包のように見えますが、ジョージアの「ヒンカリ」という料理です。
豚ひき肉に香味野菜を加えてよく練ったものを、小麦粉を捏こねてつくる皮で包みます。小籠包はそれを蒸しますが、ヒンカリはグラグラと沸いたお湯で茹でて火を通します。小籠包の形に作った水餃子と言ってもいいのかもしれません。
「はて、なんでジョージアに小籠包が」と考えてみれば、モンゴル帝国が支配していた時代がありました。
13世紀の終わりには、モンゴルは中央アジアの平原から東は今の中国、韓国、そして西はイランやトルコの一部、ポーランドの一部までを治めていました。中国の小籠包がユーラシア大陸に広く伝わったのはチンギス・ハーンのおかげだったということになります。
今回はジョージアの2つの料理をご紹介しましたが、地続きの大陸での食の交流は各地に散見されてとても興味深いテーマです。現代では人の交流は容易になり、ピザはアメリカに渡り、またアメリカから世界中に伝わり食べられるようになりました。また、世界の各都市には中国から渡った華僑がつくった中華街があって、本格的な小籠包を食べることができます。そして、新しい土地では、オリジナルとはちょっと違うバリエーションが生まれて、そこでの生活の一部になっていくんですね。
[All photos by Atsushi Ishiguro]