乳酸菌たちがつくりだす有用な成分、「乳酸菌生産物質」についてシリーズでご紹介しているコラム。今回は乳酸菌生産物質の歴史の第2弾です。戦後の混乱の時代、乳酸菌生産物質の開発に情熱を注ぎ続けたキーパーソンたちを紹介します。
乳酸菌生産物質のルーツは、日本初のヨーグルト?
日本で乳酸菌生産物質が初めて開発されたのは1940年代といわれ、「スティルヤング」という商品名で発売されました。この「スティルヤング」を開発・販売した正垣一義氏は、日本初のヨーグルトといわれる「エリー」にも深く関わる人物でした。というのも、一義氏は、「エリー」の開発者である正垣角太郎氏の子息であったのです。
日本におけるヨーグルトの先駆者、正垣角太郎氏は、ヨーグルトの製造とともに本格的な乳酸菌飲料事業を立ち上げました。また同時に、「研生学会」と名づけた研究会を発足させ、乳酸菌に関わる研究に精力的に取り組みました。当時としては革新的な乳酸菌の培養方法を確立し、これが現代につながる乳酸菌飲料の原点になったともいわれています。
国会でも講演された乳酸菌生産物質
この研究会には優れた若手研究者が集い、彼らは乳酸菌飲料のパイオニアとして羽ばたいていきます。その一人が正垣一義氏であり、やがて父である角太郎氏の乳酸菌研究を受け継ぎます。
そして乳酸菌ばかりでなく、その乳酸菌が代謝によってつくりだす物質の有用性に着目し、乳酸菌生産物質を開発することになるのです。
1940年代というと、第二次世界大戦が起こった時代です。戦後間もない、何もかも不足しているような時期でも、正垣一義氏は乳酸菌生産物質の開発に情熱を注ぎ続けました。その研究は、社会でも注目を集めるようになり、1949年には「腸内細菌とヒトの寿命に関する講演」を国会で2度にわたり行っています。最近でこそ、“腸活”が注目され「腸内細菌」というワードもよく耳にするようになりましたが、その言葉が約70年前の国会で交わされていたかと思うと感銘を受けます。
乳酸菌生産物質のキーパーソンたち
乳酸菌生産物質の誕生には、もう一人のキーパーソンがいます。浄土真宗西本願寺の法主だった大谷光瑞(こうずい)師です。
師は仏典にある「香」や「薬物」の栽培に関心を抱き、「大谷光瑞農芸化学研究所」を設立し、香科学や植物学、薬物学などの研究に取り組みました。その研究は、最後に細菌学にたどり着きます。
やがて正垣一義氏との出会いがあり、一義氏の乳酸菌研究を高く評価し、同研究所に招きました。
このような物語があって、日本初の乳酸菌生産物質が誕生し、少しずつ人々の健やかな暮らしに貢献していくようになります。
その物語の次の章を形づくっていのが、1969年、正垣一義氏の意思を受けて設立された光英科学研究所です。次回からは、乳酸菌生産物質の核心ともいえる培養方法などの技術を紹介していきましょう。
参考文献・サイト
https://koei-science.com/labmetabolites-dictioanary/masagaki-kazuyoshi/
『不老腸寿』(村田公英著)幻冬舎
【バックナンバー】
乳酸菌生産物質とは① 細菌たちがつくりだす成分
乳酸菌生産物質とは② 乳酸菌たちをめぐる基本知識
乳酸菌生産物質とは③ ヨーグルトのはじまりと乳酸菌生産物質
乳酸菌生産物質とは④ 乳酸菌生産物質のキーパーソンたち(現在の記事)
乳酸菌生産物質とは⑤ 乳酸菌の共棲培養を育んだ情熱
乳酸菌生産物質とは⑥ 人の腸をお手本に「共棲培養」を深める
乳酸菌生産物質とは⑦ 腸内細菌学の巨人、光岡知足が唱える「バイオジェニックス」と乳酸菌生産物質
乳酸菌生産物質とは⑧ 350以上もの成分を含む乳酸菌生産物質、保湿もペットもアスリートにも?! 注目が集まる理由